明日から4月ですね。
学校現場では、新年度が始まります。
私は新年度から、初めて中学1年生の担任をすることになり、中学1年生全員に英語を教えることになりました。
私を教師という道に導いてくださった、故若林俊輔先生は、かつて入門期の英語ほど、プロの英語教師が教える必要があると強調されていました。
今回、中学1年生の英語を教えることになり、師のこの言葉が私の心に重くのしかかってきました。と同時に、「プロ」と呼ばれるにふさわしい英語教育をそろそろするべきだという師からのメッセージだとも受け止めました。
そこで、2年前に復刊となった若林先生の著書『英語は「教わったように教えるな」』を、再読しています。
このブログでは、しばらくの間、この本を通して送られた若林先生からの強力なメッセージを忘備録として記すことにします。
今回は、p.124の『Sam have three brother. — 「正しい」とは何か』について衝撃を受けた言葉を残しておきます。
言語の習得過程は「不完全なものから、より完全なものへ」の過程であることを考える必要がありはしないか。たどたどしいまちがいだらけの英語を、より流暢なまちがいのない英語へと導くのが指導というものではないか、ということである。Sam have three brother と生徒が言ったとする。これを、必要な時間をかけて Sam has three brothers へ引き上げることが指導であって、「have ではなく、has, 複数の -s を落とすな」ときめつけることではないと考える。
私はかつて一人で全クラスを担当していたときは、Sam have three brother という回答をした生徒がいたら、部分点をあげていました。しかし、複数の教員が同じ学年を担当するときは、私が部分点を上げることにいつも反対されていました。
当時は、その反対に同調してしまい、言語の習得過程のことを考えることが抜けてしまい、安易な方向に流れてしまっていたのです。
若林先生は、入試の現実にうちひしがれて指導法を「きめつけ主義」に戻してしまうのではなく、入試のほうこそ変えなければならないと主張されていました。
言語の修得過程を考えた際の「正しい」とは何かについて、深く考えさせられました。